教えるということ。

一応、指導的な教育的な立場で心がける事。
裏付けの無い中途半端な安易な回答を絶対にしない事。


好きなもの、興味のある事は頭に入りやすい。
そうでないものは、なかなか覚えられない。
至って普通。

俺はスポーツが好きなので考えるリーダーとして野村克也さんや落合博満さんの著書とか読むと思うんだけど、やっぱり「教える」って簡単なことではないと昔から思っていてね。

よくある先輩クラスの無責任なアドバイスってあるでしょ?
あれと同じ事は俺には出来ないんですよ。だって仕事ならば、そこに責任が伴うから。
だから嘘もダメ。
学生と接していて、たまに「???」な事ってあるんですよ。
「それ、誰に教わったの?」って聞いたら大体出てくるのが「先輩です」ってやつ。

昨日の話じゃないけど、この先輩という謎の権力を持った人が厄介で(笑)、それ自体が既に嘘の情報とか流すものだから間違った知識とか普通に横行しているもんね。
で、言われた方もそれしか情報が無いから信じちゃう。
こうして人から人へ、どんどん広まっていつの間にか嘘情報がそこのコミュニティの定番になっちゃったりして。

でもね、こちらから「〇〇しなさい」って言うのは簡単。
自分より若い年代の人は大概素直に聞くでしょう。
でも、その人達一人一人の将来のこと考えると、ただの一方通行は発想という意味では何も生まれないと思うんだよね。
「どういう理由で」「なぜそうなるか」を知らないと応用も利かないし、何より理解したうちに入らないよね。
教わる側が「理解する」事が最も重要なので、こちらが「教えること」が一番になっちゃダメだなと思う。

教えられた事をただこなすだけ、自分で考えられなくなるというのは結構辛い。
常に「待ち」の状態で受動的だし、積極性がどんどん無くなるから考えようともしなくなってしまう。
これって知らず知らずのうちにその人の発想力、瞬発力、積極性を奪う行為じゃないかと思うわけですよ。

一人一人性格も考え方も違うから、接し方や言葉にも気を遣うよね。

人に何かを伝える時、その本質は何なのかって事を念頭に置いていれば、例えば自分のような立場にいる人は無闇に怒るってことはないと思うんだよね。
スポーツ系とか指導する立場の人って大体が自分の思い通りにいかない=自分の感情で怒る人が多くない?

言われた側がどう捉えるか、だけど。
ただ単に感情の捌け口として言われているのか、本当に自分の事を想って言ってくれていると思うのか、子供だって意外と直ぐに伝わると思う。
喝を入れる、叱咤激励の意味とも違うのは言わずもがな。

そういった事で怒る必要ないよなーと思う。
出来なくて当たり前、だから教わりに来ているわけだからさ。
ただ同じミスを繰り返した時にしっかりその原因が検証出来ているか、その人自身が考えた上で起ったことなのか、っていうのが重要なわけで。表面上のミスなんてどうでもいい。
俺の役割と言えば、それをなぜなんだろう?って思ってもらうアシストをするだけで。

だから「お前は下手だ」とか言う必要ないんです。
だから何だ?って話で(笑)、下手だから教わるんだろうし。
俺も含め、自分が今以上に上手くなりたいという思いが向上心となって努力するわけでしょ?
その謙虚さが無かったら上手くなれないんじゃないかな。
上手く見える人は絶対どこかで努力しているものだと思う。

それに短所を消すのか、長所を伸ばすのか「どうやったら今よりステップアップするの?」って考える方が建設的じゃない?
怒鳴り散らしてもそこから何も生まれないよ。
言った方がスッキリするだけで。

昔、書いたことあったけど幼少の頃(幼稚園か小学校低学年)サッカークラブの練習で野球でいうノックみたいに先生と1対1で来たボールをクリアするという練習があった。(その時の俺のポジションはスイーパーだった。時代を感じる)
右左へ振られ、フラフラになった所を至近距離から強烈なシュート状態のボールも全て跳ね返す的なやつ。
で、ボコボコボールをぶつけられるわけですよ、顔面だろうが、身体中だろうが、どこへ飛んでくるか分からないので
それは今で言う「しごき」とも言える内容で、その様子を多分どこかで見ていたんだろうね。
数年後まで母が「あの指導はない」って怒っていたのだが、俺を庇ってくれた母には申し訳ないが、やっている本人としては「ただのちょっとキツい練習」ぐらいにしか思ってなくて、何であそこまで怒るのか理解出来なかった。

端から見て疑問に思っても本人の受け取り方次第で、伝わっているか、そうでないかが重要なんじゃないだろうか。